本当にこんな現実があるなんて悲しいですね。
第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは、大戦への輸出によって発展した重工業の投資、帰還兵による消費の拡張、モータリゼーションのスタートによる自動車工業の躍進、ヨーロッパの疲弊に伴う対外競争力の相対的上昇、同地域への輸出の増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的栄光を手に入れた。1920年代前半に既に農作物を中心に余剰が生まれていたが、ヨーロッパに輸出として振り向けたため問題は発生しなかった。しかし農業の機械化による過剰生産とヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生。また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、社会主義化によるソ連の世界市場からの離脱などによりアメリカ国内の他生産も過剰になっていった。また、農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず、投機熱があおられ、適切な抑制措置をとらなかった。アメリカの株式市場は1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって長期上昇トレンドに入った。株式で儲けを得た話を聞いて、好景気によってだぶついた資金が市場に流入、さらに投機熱は高まり1929年までほとんど上昇し続けた。
ニューヨーク・ウォール街の群衆そのような状況の下、1929年10月24日10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。下落直後の寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ、株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落した。そこでウォール街の大手株仲買人たちが協議し、買い支えを行うことで合意した。このニュースで相場は値を戻し、数日間は平静を保った。この日だけで1289万4650株が売りに出されてしまった。ウォール街周囲は不穏な空気につつまれ、警官隊が出動して警戒にあたらなければならなかった。シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、投機業者で自殺したものは、この日だけで11人に及んだ。後にこの日は「暗黒の木曜日(Black Thursday)」と呼ばれるようになった。しかし5日後の10月29日、24日以上の大暴落が発生した。前日の月曜日も921万2800株の出来高で暴落を起こしており、この日は取引開始直後から急落を起こした。最初の30分間で325万9800株が売られ、午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態にまでになってしまった。この日だけで1638万3700株が売りに出され、株価は平均43ポイント下がり、9月の約半分ぐらいになってしまったのである。投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。後にこの日は「暗黒の火曜日(Black Tuesday)」と呼ばれるようになった。そしてアメリカ経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになる。
過剰生産により米国工業セクターの設備投資縮小が始まったのが、大きな要因であり、世界恐慌がさらに投資縮小を誘引したため、強烈な景気後退に見舞われることになった。
産業革命以後、工業国では、10年に1度のペースで恐慌が発生していた。しかし、1930年代における恐慌(世界恐慌)は規模と影響範囲が絶大で、自律的な回復の目処が立たないほど困難であった。
各国の状況
未曾有の恐慌に資本主義先進国は例外なくダメージを受けることになった。植民地を持っている国(アメリカ・イギリス・フランス)は様々な政策を採り、ダメージの軽減に努めたが、持っていない国(日本・ドイツ・イタリア)はそれができず、全体主義の台頭を招くことになる。第一次大戦後、世界恐慌まで続いていた国際協調の路線は一気に崩れ、第二次世界大戦への大きな一歩を踏み出すこととなった。
アメリカ
共和党のフーヴァー大統領は古典的経済学の信奉者であり、国内経済において自由放任政策を採った。その一方で、1930年にはスムート・ホーレー法を定めて保護貿易政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させた。1931年、オーストリア最大の銀行が倒産してヨーロッパ経済の更なる悪化が予想されたことに対し、ようやくフーヴァーモラトリアムと称される支払い猶予を行ったが、既に手遅れであり恐慌は拡大する一方だった。1932年後半から1933年春にかけてが恐慌のピークだったようで、恐慌発生直前と比べて株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落、1200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した。閉鎖された銀行は1万行に及び、1933年2月にはとうとう全銀行が業務を停止、社会主義革命の発生すら懸念された。
こうした中、修正資本主義に基いたニューディール政策を掲げて当選した民主党のフランクリン・ルーズヴェルト大統領は、公約通りテネシー川流域開発公社を設立、更に農業調整法や全国産業復興法を制定し、更にラテンアメリカとの外交方針を以前の棍棒外交から善隣外交へ転換した。ただ、ニューディール政策は1930年代後半の景気回復を前に規模が縮小されるなどしたため、1930年代後半には再び危機的な状況となった。このため、同政策にどれほど効果があったかについては、今日でも賛否両論がある。
アメリカ経済の本格的な回復は、その後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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